露草を想う
- pirkamer organic apothecary

- 9月9日
- 読了時間: 3分
夏も終わりの頃。
ツユクサの、瑞々しく透明感のある花が咲いてます。

ツユクサは、毎朝新しい花を咲かせ、昼過ぎには萎れ始めます。
花弁が端から縮んで溶けていくように、雄しべと雌しべがくるくると巻き込まれるように、ゆっくり3枚のがく片の中に収まり、苞葉の中へと退きます。

苞葉の中を覗くと、咲き終わって結実したものと、これから咲く花のつぼみが包み守られていて、花の終わったものを背にして順々に花を咲かせていく様子が観察できます。

ツユクサは、青い翼のような、耳のような2枚の花弁が印象的ですが、もう1枚下向きに白く小さい花弁があり、3枚の花弁で構成されています。

そして、その花弁を支える白い半透明の3枚のがく片が180度反転して重なっています。
ユリやモクレンの仲間のように、花弁とがく片の分化が不完全のものは、それらをまとめて花被片と呼ぶそうで、ツユクサはユリに近い特徴が見られます。
ユリ科に見られる6枚の花被片は、正三角形が180度に反転して重なった六芒星になっています。

ツユクサも六芒星のような構成ですが、正三角形の重なりではなく、二等辺三角形の重なりになっています。

また、ユリの雄しべは6本同質のものですが、ツユクサは3種類に分かれていて葯がそれぞれ特徴的です。
一番上の3本の雄しべは、短く“π(パイ)”のような形の黄色い(中心が少し赤茶色)葯を持ち、最も目立ちますが花粉はほとんど出さない飾り雄しべです。
鮮やかな黄色は、花弁の青色と補色に近く、コントラストが目を惹き、虫を呼ぶ役割があるとされています。
一番下の2本の雄しべは、細長い楕円型の葯にたくさんの花粉を付け生殖機能を持ち、雌しべを挟むように寄り添います。(写真のツユクサは午後を過ぎていたので雌しべが丸く萎れ始めています。)
真ん中にある1本の“人(ヒト)”のような形の葯は、黄色と赤茶色で、花粉も出しますが、上下の雄しべの中間的な役割なのでしょうか?
進化の過程をここに見せてくれているようでもあります。
ツユクサはユリに比べ動的な印象です。
ツユクサの学名は、Commelina communis。
Commelinaはオランダの植物学者から由来しているそうです。
コメリン家には3人の植物学者がいて、2人は植物学者として業績を残しましたが、1人は早くに亡くなったことから、ツユクサの上向きの目立つ2枚の花弁と下向きの目立たない花弁の関係に重ねて名付けられたとのことです。
けれども、青い花も白い花もどちらも1日で萎れてしまいます。
鮮やかな花弁から取り出した色で染めものをしても、すぐ変色し水で流れてしまいます。
現世的な輝きは留め置くことができない、その無常を思わせます。
ツユクサの花言葉に「なつかしい関係」「尊敬」があります。
名を残すことのなかった1人の詳細は分かりませんが、3人はお互い大切な関係にあったのではないかと想像します。
ツユクサを見ていると、早世した1人はただの儚い存在ではなく、何か見えない形で植物学を支えたのかもしれないと、そして半透明のがく片の存在にも同じようなものを感じます。
根の力強さはありませんが、たくさんの種を蒔いては翌年芽を出し、同時に茎を横に伸ばしてそこからも根付いていくという、植物体としては儚さとは無縁の逞しさが見られます。
私たちの現世的な創造はきっとそのような存在に支えられている。
自分1人の力だけで為していることなどほんの微々たるもの。
ツユクサの目立たない花被片に目を見張るように、支えてくれている存在たちへの感性を研ぎ澄ましたい。
目に見えるものと目には見えないものたちとが共創する領域の広がりを、そして、儚さの中にある永遠の今の輝きを、ツユクサは教えてくれているように思います。



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